東京高等裁判所 昭和37年(う)305号 判決
被告人 後藤稔衛
〔抄 録〕
所論は、原判決には関税法第百十八条の解釈適用を誤つた違法がある、すなわち、本件においては、犯罪貨物は情を知つた犯人間に転々譲渡されているところ、原判決は犯罪貨物が没収され或いは被告人以外の犯則者から既に通告処分や略式命令により没収に代わる追徴金が納付されているのに拘らず、それらの犯罪貨物について被告人から関税法に基づく追徴をなさんとしているのであるから、右法条の解釈適用を誤つているといわなければならないというのである。
よつて按ずるに、原判決はその一覧表1ないし18の事実全部について、関税法第百十八条第二項に基づく価格に相当する金額(七十三万七千九十六円)を追徴していることが明らかであるが、記録並びに当審における事実取調の結果によれば、原判示一覧表1ないし3の犯罪貨物については、被告人からの悪意の買受人木瀬忍に対し東京税関から昭和三十五年通告処分第九三号をもつて罰金五千円、追徴金(関税法第百十八条第二項に基づく)二万一千円及びスイス製腕時計ラコー一個、同エニカ一個の納付方の通告があり、右一覧表4の犯罪貨物については、被告人のため悪意で保管をした森本泰史に対し右同様昭和三十五年通告処分第九四号をもつて罰金七千円、追徴金(右同)一万三千百円、スイス製腕時計エツタ四個、アルタイル一個、スエリタ一個、オデナ一個、コルト三個、ザレツクス一個の納付方の通告があり、同人らはいずれも右通告の趣旨にそつて全部履行していることが認められるので、右各犯罪貨物については、既に被告人以外の者により、関税法所定の没収ないしそれに代わる追徴が履行されていることを認め得るのである(記録三十五丁の告発書、東京税関長小熊孝次より当裁判所宛送付された回答書並びに木瀬忍及び森本泰史に対する各通告書写)。
次に、一覧表6ないし13及び16の犯罪貨物については、悪意の買受人千野稔に対し東京税関千葉支所から通告処分により罰金五万円、追徴金(右同)四十六万八千七百十四円、スイス製腕時計シーマ一個の納付方が命ぜられ、同年四月十八日全部履行されており(記録千百十三丁以下の右税関支署長の報告書、千野に対する通告書写)、また、一覧表5ないし16の犯罪貨物については、同様悪意の買受人(但し101112については悪意のあつせん者)中村友雄に対し、略式命令により罰金五万円追徴金四十八万七千五百九十四円(同右)時計二個の納付方が命ぜられ、罰金五万円及び追徴金中二十七万五百九十四円は既に履行されている状態であつて(記録千二十七丁中村に対する略式命令謄本、当裁判所に対する中野区検察庁検察官よりの履行の状態についての回答書、記録千百二十二丁以降の報告書及び電話聴取書)、これらによれば、以上5ないし16の犯罪貨物については、既に被告人以外の者より、関税法所定の没収又はそれに代わる追徴がなされていることを認め得るのである。
更にまた、一覧表18の犯罪貨物については、被告人からの悪意の買受人山田輝夫に対し東京税関から昭和三十六年通告処分第二八八号をもつて罰金二万七千円、追徴金(右同)十八万九千百円の納付方の通告があり、既にその履行がなされていることが認められるので、これによれば、以上の犯罪貨物については、被告人以外の者より関税法所定の没収に代わる追徴が履行されていることを認め得るといわなければならない(記録三十五丁告発書、東京税関長より当裁判所宛送付された回答書並びに山田輝夫に対する通告書写)。
ところで、原判決が本件について右一覧表1ないし18の事実全部について、前記のとおり関税法に基づく追徴をしたのは、右1ないし18の全犯罪貨物につき、関税法第百十八条第二項にいわゆる犯罪貨物を没収できない場合ないしは没収しない場合に該当する事由があると認めたがために外ならないのであるが、前段説明の如き被告人以外の悪意の買受人、あつせん者、保管者らが略式命令、通告処分等によつて、当該犯罪貨物の没収ないし没収に代わる追徴を命ぜられ、それを履行したと認められる場合においては、右関税法の規定に基づき重ねてこれについて没収ないし追徴をすべき筋合ではなく、その場合には、ただ被告人が得た右犯罪貨物の対価の没収又はそれに代わる追徴を刑法第十九条第一項第四号第十九条の二によりなし得るに止まるものといわなければならないから(昭和三五年(あ)第一七〇一号、同三六年一二月一四日最高裁判所第一小法廷判決、昭和三四年(う)第五二号、同三六年二月一四日東京高等裁判所第八刑事部判決参照)、この点からすれば、本件において関税法第百十八条第二項に基づく追徴をなすべきは一覧表17関係の犯罪貨物につき金六千三百三十円の限度に止まるべき筈で、その余の追徴をなしたことについては、以上没収、追徴に関する事実を誤認し且つ法律の解釈を誤つた結果判決に影響を及ぼすことの明らかな違法を敢てした過誤があるものといわざるを得ない。果して然らば、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れないというべきである。
(三宅 東 井波)